医療事務1年目の頃、看護師さんが怖かった。
怖いというか、どう接していいかわからなかった。伝票を渡すときも、電話を取り次ぐときも、こっちはおそるおそるなのに、向こうは目も合わせずに「はい」とだけ返してくる。
「僕、嫌われてるのかな」
毎日そう思ってた。
「ありがとうございます」は、実は届いてなかった
当時の僕なりに、がんばっていたことはあった。
誰に対しても「ありがとうございます」を欠かさず言う。伝票を受け取ったら「ありがとうございます」。電話を回してもらったら「ありがとうございます」。何かあるたびに、とにかく「ありがとうございます」
正直、これだけやってれば悪い印象にはならないだろうと思っていた。
でも、看護師さんの態度は一向に変わらなかった。
あるとき、少しだけ仲良くなれた先輩の看護師さんにこっそり聞いてみた。
「正直に言うとね、事務の人の"ありがとうございます"って、全員に同じこと言ってるの、わかるんだよね」
悪気はなかったと思う。でもこの一言は、結構こたえた。
僕が毎日言っていた「ありがとうございます」は、看護師さんからすると社交辞令にしか聞こえていなかった。
たとえるなら、コンビニのレジで「ありがとうございましたー」と言われるのと同じ。言われても何も感じない。それと同じことを、僕は毎日やっていた。
名前をつけるだけで、届き方がまるで変わった
それから、ひとつだけ変えてみた。
「ありがとうございます」の前に、相手の名前をつけた。
「田中さん、さっきはありがとうございました」
「佐藤さん、あの件フォローしてもらって助かりました」
たったこれだけ。
でも、反応が明らかに変わった。
名前を呼ばれると、人は「自分に言ってくれている」と感じる。
「ありがとうございます」は全体に向けた社交辞令。「○○さん、ありがとうございます」は、その人だけに向けた言葉。同じ7文字なのに、名前が入るだけで「見てくれている」という実感に変わる。
これは僕の感覚だけの話じゃなくて、心理学でも「ネームコーリング効果」として知られている。名前を呼ばれると人は無意識に好意を感じやすくなる、というものだ。
難しいテクニックは一切いらない。ただ、名前を呼ぶ。それだけでいい。
「何に対して」を足すと、信頼に変わる
名前をつけることに慣れてきたら、もうひとつだけ足してみた。
「何に対して感謝しているか」を具体的に言う。
たとえば、こんな感じ。
「田中さん、さっき3番の患者さんの件、先にドクターに確認してくれてたんですね。おかげで窓口スムーズでした」
「佐藤さん、午前中の急患のとき、僕が受付バタバタしてたのフォローしてくれましたよね。ほんとに助かりました」
ポイントは、「ありがとう」に「場面」と「助かった理由」をくっつけること。
「ちゃんと見てくれてたんだ」
看護師さんが一番うれしいのは、この感覚だと思う。
看護師さんは毎日ものすごい量の仕事をこなしている。検温、点滴、ドクターの指示受け、ナースコール対応、記録、患者さんの食事介助。これが全部同時に走っている。
そのなかで「誰かのために動いた瞬間」を、ちゃんと見ていた人がいる。それを言葉にして返してくれる人がいる。
これだけで、「この事務の人は違うな」と思ってもらえる。大げさじゃなく、本当にそうだった。
逆に、やらないほうがいいこと
効果があった話ばかりしたので、僕がやって失敗したことも正直に書いておく。
ひとつ目は、「忙しそうなタイミングで長々とお礼を言う」こと。
看護師さんが処置の合間に走ってるときに「さっきの件なんですけど~」と声をかけて、露骨に面倒そうな顔をされた。感謝のつもりが、相手の時間を奪っていた。
お礼は、処置と処置の合間の「空白の数分」か、業務が落ち着いた夕方に伝えるのがいい。
ふたつ目は、「特定の人にだけお礼を言いすぎる」こと。
仲良くなった看護師さんにばかり「○○さん、ありがとうございます」を連発していたら、他の看護師さんとの温度差が目立ってしまった。
感謝は「えこひいき」にならないように、まんべんなく配る。これ、地味だけど大事だった。
「ありがとう」は減らない。でも届け方で全然違う
今も医療事務を続けている。環境は変わったけど、「名前+具体的な内容」のお礼は今でもやっている。
リモートになった今は、チャットで「○○さん、さっきの共有ありがとうございます。あの情報のおかげで請求書の確認がスムーズでした」と送る。対面でもリモートでも、やることは同じだ。
あの頃、先輩の看護師さんに「社交辞令にしか聞こえない」と言われたとき、正直かなり凹んだ。でも、あの一言がなかったら、僕はずっと「届かないありがとう」を量産し続けていたと思う。
「ありがとう」は何回言っても減らない。でも、誰に・何に対して言うかで、届き方はまるで変わる。
明日からできること、たったひとつだけ。
「ありがとうございます」の前に、相手の名前をつけてみてください。
それだけで、あなたの「ありがとう」は社交辞令から、ちゃんと届く言葉に変わるから。
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