去年の冬、仕事終わりにスマホを開いて、こっそり検索したことがある。

「医療事務 AI なくなる」

画面の白い光だけが、暗い部屋に広がっていた。 出てくる記事を、端から端まで読んだ。 読むたびに、なんとなく胸が締まっていく感じがして。 でもやめられなかった。

怖いのに、知りたくて。

この記事は、そんな夜を過ごしたことのある人に向けて書いています。

「便利になった」と喜べなかった

ある朝、出勤したら受付のカウンターに機械が増えていた。

自動精算機。 ほかの病院ではよく見かけるもの。でも自分の職場に置かれると、なんだか空気が変わったような、妙な感じがした。

それから数か月で、レセプトの一次チェックもシステムが担うようになった。 以前は私が1時間かけていた作業が、気づいたら10分ちょっとで終わっている。

「便利になってよかった」と思えたら、どれほど楽だっただろう。 でも正直なところ、頭の中にはずっと「私の仕事、これからどうなるんだろう」という声がくすぶり続けていた。

誰かに打ち明けるほど大げさな悩みでもない。 かといって、見て見ぬふりもできない。 そういう、じわじわとした、ひとりで抱えるしかない不安だった。

データの向こうにいた人

転機と呼ぶには、ずいぶん小さな出来事だったかもしれない。

外来の月次データを整理していたとき、ふと目が止まった名前があった。

内科の定期外来に、毎月決まった曜日に来ていた患者さん。 でもここ2か月、受診の記録がない。

「体調でも崩されているのかな」 そんな気持ちが頭をよぎって、そのフロアの外来看護師に一言伝えた。 病院の手順に沿って、担当科から通院のご案内を送ることになった。

それで終わったと思っていた、しばらくの間は。

数週間後、その患者さんが外来に来られた。 以前より少しだけ痩せて見えて、歩く姿もゆっくりだった。

受付を通るとき、その方はカウンター越しにこう言ってくれた。

「お手紙、もらってよかった。来ようか迷ってたから」

たった一言。 でもその言葉が、なんだか胸にじんと来た。

AIが教えてくれたのは「受診が途絶えた」というデータだった。 でも、その数字の向こうに「あの患者さんかな」と顔を思い浮かべたのは、私だった。

「ああ、これが私のやることなんだ」と、そのとき初めて、腑に落ちた気がした。

「なくなる」よりも、「変わる」のほうが正確なんじゃないかと思う

正直に話すと、今でも医療事務の仕事がこれからどうなるか、全部は見えていない。

診療報酬改定のたびに業務は形を変えるし、生成AIの話題も職場でじわじわと広がってきた。 「今やっている仕事のいくつかは、数年後には違う形になっているかもしれない」と感じることもある。

ただ、「なくなる」と「変わる」は、まるで意味が違う言葉だと思っている。

AIが得意とするのは、ルールがある仕事。 書式を整えること、データを集めて出力すること、定型チェックを繰り返すこと。 そのスピードと正確さは、私にはとうていかなわない。

でも、患者さんがふとした瞬間に見せる「なんとなく元気がない」感じに気づくこと。 怒りをぶつけてくるお年寄りの話を、最後まで受け止めること。 医師へ「今日のAさん、いつもと少し様子が違いました」とさりげなく一言伝えること。

そういう仕事は、まだ私たちにしかできないことのように感じている。 そして、そこにこそ本当に必要とされているものがあるんじゃないかと、10年経った今も思っている。

怖くて当たり前だったと、今は思える

少し前まで、AIというものが怖くて仕方なかった。 現場でなるべく話題にしないようにしていたほど。

でも同僚が生成AIを使い始めて、「やってみたら?」と軽く勧められた。 恐る恐る試してみた。患者さんへの説明文の下書きをお願いしてみた。

30秒で、それっぽい文章が出てきた。

「……え、これ、私が30分かけてたやつ」

思わず笑ってしまって、そのあとちょっとだけ悔しかった。

ただ、使い続けていくうちに気づいたことがある。 「出てきた文章を、私の言葉に直す」という工程が、どうしても必要だということ。

その患者さんの背景を知っているのは私だから。 どんな言葉が伝わりやすいか、肌感覚でわかっているのも私だから。

AIは「たたき台」を渡してくれる存在で、最後に「この人らしさ」を文章に込めるのは、やっぱり私の仕事であり続けている。

使い始めて数か月で、残業が週に3時間ほど減った。 その時間で、患者さんと少しだけ長く話せるようになった。

それが、思っていたよりずっと、うれしかった。

さいごに

電車の中でこっそり「医療事務 AI なくなる」と検索していた頃の自分へ。

怖かったのは、当たり前のことだったと思う。 知らないまま時代が変わっていくのは、誰にとっても怖いもの。

ただ、怖いまま立ち止まり続けることと、怖くてもそっと一歩を踏み出すことは、少しずつ違う景色へとつながっていく。

医療の現場で積み上げてきた時間は、画面の向こうのAIにはつくれないものだと、私は信じている。 患者さんの顔を覚えて、声のトーンで体調を察して、「最近どうですか」と自然に言える関係は、どんなデータにも、アルゴリズムにも、変換できないものだから。

変化が怖いと感じるのは、ちゃんと向き合おうとしている証拠だと思う。 向き合おうとしているあなたは、もうすでに、前に進んでいる途中なのだから。

「このまま必要とされなくなるのかな」と思っていた私が、今日もこうして画面に向かっていられる。それで十分だと、最近ようやく思えるようになってきた。